ひまわり2 太陽

 海苔の歴史は古く、飛鳥時代後期の「大宝律令」(702年)からなり、三重県の海苔の歴史は、平安時代にさかのぼります。延喜式によると、正月三節料として斎宮で紫菜(海苔)が用いられたとの記録があります。
 江戸時代になると、海苔の生産地は、熊野灘に面した湾外の海で、伊勢神宮への奉納を目的として発達し、志摩半島一体が中心であったと推測されます。
 三重県の養殖海苔の歴史は、桑名の南福崎村(現川越町の南福崎、亀崎新田)から始まりました。この地は東西に町屋川、朝明川が流れるとともに、木曽三川のひとつ長良川河口にも近い特色がありました。明治23年第3回内国勧業博覧会で南福崎の海苔が褒賞を得たのち、ますます発展していきました。
 三重県は明治42年以降の新興海苔漁場でしたが、有数の産地に数えられる程目覚ましい発展を遂げました。歴史の流れの中、衰退の時期もありながら、海苔養殖地帯の川越に三重県水産試験場分場が置かれて研究を重ね、海苔種子の適種の選定等の成果を得て、昭和10年代以後三重県の海苔は隆盛時代を迎えます。それから今日まで、桑名の海苔は特に高く評価されています。
 平成24年度の大森本場海苔組合で開催されたテイステイング大会(全国各産地の最高級品を集めその中から1位を選出するもの)では、城南漁協の焼海苔が優勝を収め、日本一おいしい海苔ということが示されたといえます。
 また、平成28年1月には、三重県漁連でアサクサノリの入札会が開かれ、伊曽島・城南両漁協が出品した海苔が高値をつけました。アサクサノリは、環境省のレッドリストで絶滅危惧I類に指定されておりますが、復活に成功して3年目となり、「伊勢あさくさ海苔(のり)」の名前で販売されています。